Juntaro Okabe
  岡部淳太郎作品





駈けていった


あなたの子供は駈けていきました
あなたの急を知らせに
道の向こうの
そのまた向こうまで
私が知らない間に
他の多くの大人たちが
それぞれの世界の片隅で
何も変えられないでいる間に
あなたの子供は駈けていきました

私は殴ります
空気を殴り
飼い主を引っ張る犬どもを殴り
私の太った腹を殴り

あなたは駈けていきました
誰もが急がなければならないことがあるし
ゆっくり行けば良いこともある
たとえば朝の天気予報の下
近所のバス停まで駈けてゆき
夕暮の雨を降らすことのなかった雲の下
会社から疲れてゆっくり歩き
そんなそれぞれの場面で
ふさわしい速度で行くのが普通なのに
それなのにあなたは
ひたすら速度を上げて
ひたすらの思いのままに
あなたは駈けていきました

ああ
車のエンジン音がやかましい
ああ
飼い馴らされていない犬の声がやかましい

私は殴ります
雨を殴り
車のボディを殴り
私の心を殴り

私は駈けていくことが出来ませんでした
その時にはもう
あなたは駈けていってしまった後だったので
私はバスに乗り
いらいらしながら揺られていたので
私は駈けていくことが出来ませんでした

ああ
違法駐車が目障りだ
ああ
犬どもの伸び上がった尻尾が目障りだ

私は殴ります
窓を殴り
壁を殴り
これらに囲まれていたあなたの
終ってしまった人生を殴り
私の人生を殴り

あなたの子供は駈けていきました
そのことによって
大人たちは初めてあなたのことを知りました
そのことによって
大人たちは初めてあなたのことを知らされました
世界のそれぞれの片隅で
間に合わなかった人びとが
大きな遅刻を信じられずに立っていました
あなたの子供は駈けていきました
道の向こうの
そのまた向こうへ
あなたのいない
大きな涙の方へと




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